◆初島に行く2005年08月05日

 8月4日(木)
 今日は歯科医師会での先輩の先生のプレジャーボートに息子2人と共にのせてもらって初島まで行ってきました。全長12メートルくらいのエンジンで動く船です。朝5時30分に先輩宅に集合し、平塚まで車で行き、船を出しました。妻は乗り物酔いをしやすいので今回はパスです。大人4人、小学生2人、幼稚園児2人のメンバーでした。
 平塚沖でのつりはサバがけっこう釣れ、アジ、カツオも一匹ずつかかりました。先輩によると今年はその近辺ではカツオがかからないそうで、この結果はサオをもっていたのが小学生(ウチの長男と先輩の孫)2人であることを考えれば、まずまずといえるようです。
 この後ボートは一路、初島へ。皆さん、この島を御存知ですか? 熱海から近いため、夏は海水浴、ダイビングなどで有名な離島です。1時間程度後、島に到着。子供達は磯あそびで大喜び。大人も童心に返ってシュノーケルを使ってもぐり、海を堪能しました。昼食は当然、とれたての海の幸を。ビールと共に食べたアジ刺しは最高でした。 昼食後、ひと泳ぎした後、再び帰路につくべくボートに戻るわけですが、実はこの戻り方が我々下島家3人にとっては少しスリルのあるものでした。
 初島の海水浴場はプレジャーボートを係留してある地点から歩いて20分くらいの距離があり、小さい初島の反対側に位置します。少しでも長く子供達を海で遊ばせてやりたいとの思いから、先輩夫婦と幼稚園児2人の4人だけが陸から20分歩いてプレジャーボートに戻り、船を出してぐるっと海から海水浴場の沖150m(もちろん安全ブイより沖側です)の辺りまで来てアンカーをおろし止まりました。ここまで我々海水浴を続けていた大人2人と小学生2人が泳いでたどりつく計画のようです。実はあまり濡らしたく着替え、ケータイ電話、サイフなどの荷物も残っており、人間も荷物も到着困難にも私には思えました。えっあそこまでどうやって行けっての‥‥!? ただ先輩一家にはこのようなやり方は日常茶飯時らしく動揺は全くありません。私は自分と長男はだるいけど20分歩いて、係留地点からおとなしく安全にボートに戻ればよかったと舌打ちしつつ、ここは事態を見守ることにしました。(ちなみに長男は愉快そうにわくわくした顔つきをしていました。アホか) 
 すると沖のプレジャーボートから救助用ゴムボートが海におろされました。あれで行くのか? でもどうやってこの岸までもってくるんだ? 疑問を打ちけすかのように岸から先輩のお嬢さんがどんどん泳いでいきます。潮の流れも計算にしながら見事に沖のゴムボートに到着し、今度はそれを岸にむかって泳ぎながら引っぱってきました。(ちなみに彼女は大学の体育会スキー部出身のスポーツウーマンです)そして、陸揚げされたゴムボートに荷物を全部のせ、再び海へ。あれ? 人間はのせないの? どうもパドル(カヌーについてるこぎ棒のこと)はないようです。人なんかのせたら重くて沖まで引っぱれないの! 人間は泳げ! というやり取りが私とお嬢さんとの間であり、再び彼女は荷物をひいて沖へ泳いでいきました。彼女のパワーはすごすぎる‥‥外見は28才、きれいな普通のお嬢さんなのですが。びっくり‥‥。
 そのナナコさんの後を追って残った人間3人が沖の本船めざして泳ぎ出しました。子供2人はウェットスーツ、ライフジョケットに加えシュノーケルをつけてますので、スイスイいきます。問題は私。腹まわりの脂肪が浮力となって吉とでるか、みじめに沈むか。平泳ぎで顔を出しながらゆっくりと泳ぐことを心がけました。足がつかないところで泳ぐ心細さを40年ぶりくらいに思い出しました。  あーヒヤヒヤした‥‥
 なんとか人間3人、貴重品含めて荷物とも本船にもどることができました。船にハシゴであがった時の気分といったら! もうサイコーに気持ちよかった! 沖で野次馬がことの成りゆきを大勢見ていました‥‥。
 私の個人的な心細さなど想像もしなかったように、先輩一家は屈託のない笑顔をうかべて、あろうことか船から海に飛び込みジャンプなどをくり返しています。年に30回もこの船で大海原に出ていき、行っていない休日は登山にいそしむこの先輩一家。ちなみに先輩は既に還暦を超えており、子供が6人、孫が6人(現時点で。この先さらにふえるでしょう)いるのに、肉体は若々しく海へ山への豪快なスポーツマンです。私は45才で子供2人育てるのが精一杯、既に中年体型まっさかりで体力の衰えも感じています。人間、もって生まれたエネルギーに違いがあると思わざるを得ません。それともきたえ方の違い? と同時に、子供は親を選べないが、どこに生まれるかでずいぶん育てられ方も運命も変わってしますのだなあ、などと弱気コメントだけでなく感心してしまうほど一家全員パワフルで圧倒されました。
 でも、ウチの長男、次男も一日遊んでもらって充分たんのうしただけでなく、いい刺激をうけたようで、子供同士で再会を約束していました。本当に夢のような一日で、誘ってくれた先輩には感謝、感謝です。(最後には奥様が釣った魚をさばいておすそわけして頂いて‥‥どこまでもありがとうございます。)
 ちなみに、先輩の奥様ヒロコさんがウチの長男に「今度パパぬきでくる?」ときいた時、長男の塁(るい)がすかさず「ウン」とニコニコ答えていたのは頼もしくうれしい半面、少し複雑な気分でした。
オレも頑張らねば—!パパ頑張るぞ—! 

◆クールビス軍団圧勝に考える2005年08月30日

 衆議院選挙が終わりました。予想以上の自民党小泉さんの圧勝に、少し驚きましたが、今回の選挙の特徴として都市部の投票率が際だって高く、無党派層の多くが自民党に投票したという事実。自民党は本来ガッチリ票をつかむのは地方の組織票であり、都市部の以前でいう「浮動票」は「反権力」である野党が集めることが多かったように記憶しています。私も東京都出身で典型的なサラリーマン家庭だったため自分の家庭がいつも心情的野党を応援していたように思います。その意味で、今回は小泉執行部の大勝にはマスコミも種々の分析を加えていました。実は、私が考える大勝の一つの要因として、大手マスコミがあまり語ることのないある理由があります。それは・・・まさにあのクールビズ。選挙以前、夏休み当初から始めた、あの半袖、ノーネクタイの涼しげな格好。衆議院解散、公示、テレビや街頭演説のときもことごとく小泉執行部数名はこれで通しました。NHKの政見放送にまであれで通したのはちょっとビックリ。有権者に訴えかけるような大事な場面で、「あんなファッションの政治家」に語りかけられるのは日本の政治史上初めてだったはず。なんと新鮮だったことか。「なっとらん」と感じた人より私のように感じた方は確実に多かったと思います。特に都市部の女性。ヒートアイランド現象が騒がれる中、スーツ着用のサラリーマンに合わせてオフィスや電車の温度が設定される。「寒い」のかぼそい声は「暑い!!」の大きい声にかき消される。エネルギー節約を旗印に小泉首相が率先してクールビズを着通したのは、今回「改革」を叫んだイメージと見事に重なり、「ダークスーツ」を着通した民主党を守旧派のイメージにおいやった。
 民主党に限らず、党首や幹事長討論会などで見れば一目瞭然、自民党執行部以外は社民も共産もみーんなスーツ。こんなところにも小泉陣営の勝利の秘密はあったのでは?大敗の民主党、昔羽田つとむ首相が省エネルック、半袖スーツを着ていたのを思い出しました。あれは流行らなかったなー。カッコ悪かったからね。小泉さんはおそらくカッコいいと信じてあの(今回のクールビズ)格好をしてると思う。周りの人達(武部幹事長とか)は本当はスーツを着たいけど、今回はしょうがなくあの格好をしているようにみえますね。途中から追い風を感じたのか堂々とするようになったけど。そうです。私の予想では、スーツ軍団がそのポリシーや党派を超えて、身の回りにいっぱいいる冷房の設定温度を下げるオヤジ軍団にみえたんじゃないでしょうか。都市部の女性達には。
 冷房大嫌いで、車も窓全開で走る下島でした。