加藤和彦さん、さようなら。 ― 2009年10月19日
東京湾に架かるレインボーブリッジを銀座方面に向けて走っていた。
FMラジオから吉田拓郎の「明日に向かって」といったテーマの曲が流れていた。タイトルは忘れてしまったが、拓郎調の元気な曲に気分もいい。
ブリッジから見る東京湾の景観は世界の誇れる21世紀の都市景観ではないかと思いながら、拓郎の曲に耳を傾けていた。吉田拓郎さんが、一時(今もか)体をこわし、コンサート・ツアーを中断するというニュースを秋口に聞いた。世代的に近い人が病気や亡くなったというニュースを聞くようになり、それはまた、肉体的にも老いという言葉が見近かな世代に近づいて来たということかも知れない。いつまでも拓郎さん、元気でいてください、という気持ちがこみ上げて来た。戦前の世代が健康で長生きしている割に戦後は体が華奢なように思う。
銀座から神田の古書街に向かい、お目当ての書店の前に車を止めると、歩道をYMOの細野さんが通り過ぎていった。吉田拓郎さんの後に細野さんというのも、世代的な音楽ファンとして出来過ぎた取り合わせだった。
5分ほど古書店に行って戻って来ると、妻が「加藤和彦さんが自殺したのよ」とFMラジオからニュースが流れたことを教えてくれた。
このニュースはショックだった。
多分、街を散策していた細野さんもこのニュースを知らされ、悲痛な気持ちに足どりも重く、神田の街を後にするのだろうと、穿った想像をしてしまった。
がんばろう、昭和20、30年代。
FMラジオからは、「あの素晴らしい愛をもう一度」が流れてきた。
加藤和彦さん、合掌。
FMラジオから吉田拓郎の「明日に向かって」といったテーマの曲が流れていた。タイトルは忘れてしまったが、拓郎調の元気な曲に気分もいい。
ブリッジから見る東京湾の景観は世界の誇れる21世紀の都市景観ではないかと思いながら、拓郎の曲に耳を傾けていた。吉田拓郎さんが、一時(今もか)体をこわし、コンサート・ツアーを中断するというニュースを秋口に聞いた。世代的に近い人が病気や亡くなったというニュースを聞くようになり、それはまた、肉体的にも老いという言葉が見近かな世代に近づいて来たということかも知れない。いつまでも拓郎さん、元気でいてください、という気持ちがこみ上げて来た。戦前の世代が健康で長生きしている割に戦後は体が華奢なように思う。
銀座から神田の古書街に向かい、お目当ての書店の前に車を止めると、歩道をYMOの細野さんが通り過ぎていった。吉田拓郎さんの後に細野さんというのも、世代的な音楽ファンとして出来過ぎた取り合わせだった。
5分ほど古書店に行って戻って来ると、妻が「加藤和彦さんが自殺したのよ」とFMラジオからニュースが流れたことを教えてくれた。
このニュースはショックだった。
多分、街を散策していた細野さんもこのニュースを知らされ、悲痛な気持ちに足どりも重く、神田の街を後にするのだろうと、穿った想像をしてしまった。
がんばろう、昭和20、30年代。
FMラジオからは、「あの素晴らしい愛をもう一度」が流れてきた。
加藤和彦さん、合掌。
最近のコメント